旧国立公衆衛生院にて創設された旧ポルフィリン研究会に出席

 2016年4月22日、31年間通った港区白金台の旧国立公衆衛生院を久し振りに拝観しました。その後、本院の隣に位置する東京大学・医科学研究所にて開催された第6回ポルフィリンーALA学会年会に久しぶりに出席し、またその帰途、敷地内で国立公衆衛生院時代の同僚であった図書館の磯野威さんと偶然に出会ったことは驚きでした。

本学会設立の経緯
 私は旧国立公衆衛生院にて、31年間、厚生行政に関わる研究・教育活動を行いました。その間、今から30年前の1986年にALAの代謝を行うALA-D酵素が亜鉛酵素であることが分かり、臨床医学、公衆衛生学・衛生学・産業衛生学、生化学、植物学、栄養学など多分野から注目され、そこで、職場の仲間と共にALAD研究会を創設しました。4年後の1990年には、研究領域を拡大・全国組織として、ポルフィリン研究会と名称変更・規約を作成し、国立公衆衛生院にて第1回の学術大会総会を開催すると同時に査読付論文掲載雑誌「PORPHYRINS」を定期的刊行物(季刊)として出版を始めました。当時は年に2回研究発表会、4年に1回国際学会を行っておりました。
その後、時代は変わり、2011年にALA研究会を主宰する先生方とポルフィリン研究会を主宰する先生方によって、両研究会が統合され、「ポルフィリン‐ALA学会」が誕生しました。

 写真の建物は旧国立公衆衛生院
 2002年(平成14)4月に、旧厚生省の付属試験研究機関再編成によって64年の歴史を閉じました。建物は現在もそのままの状態で残っています。この建物は米国ロックフェラー財団の寄付によって建てられ、竣工当時は国会議事堂の次に高い建物で大変眺望が良かったそうです。日本建築学会が編集した日本建築物総覧(1980年)には特筆に値する建築物14000件および特に重要な2000件の中に本院建物は含まれ、同会長名による「近代日本の進歩と地域景観に寄与した」として、永く保存されたき旨の依願状を受けています。本院で31年間、教育・研究活動に身を投じて行ってきた一人として、重要文化財に近いものとして永く保存されることを願っています。本院は日本の公衆衛生学発祥の地です。
 現在、本施設は港区の郷土歴史館複合施設「ゆかしの杜」として新たなスタートをし、一般公開されておりますので、ぜひご見学下さい。(近藤雅雄:平成28年4月25日掲載)
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