研究には投資が必要~研究は遂行すればするほど自己負担が増加

 ここでいう投資とは、教育・研究者として仕事を営んでいる者が研究活動をする場合には必ず資金が必要であり、その研究資金が研究者としての経常研究費や競争的研究資金以外に、私費、すなわち生活費を投入することを指します。これを、私費研究費(自己負担研究費)と私は読んでいますが、大学や研究機関の研究者は研究をすればするほど自腹を切らないと研究が進まないことが多く存在します。
 教育・研究者として、研究を遂行すればするほど研究課題が新たに発生し、それを遂行するのに私費研究費を投入せざるを得ない状況が生じる場合が頻繁にあります。これが投資ですが、その投資が結果として身になる場合とならない場合があります。しかし、身にならなくても再び挑戦していくことが成就する上でとても大切です。

 研究に必要な経費が経常研究費および文部科学省や厚生労働省等の助成研究費(科学研究費)では支出することができない費用がたくさんあります。例えば、かつては①学会関係の費用(学会加盟費、参加費、旅費)、②国際学会の参加費、旅費、宿泊費等、③論文投稿費用および別冊費用、④図書(学術雑誌)購入費用、⑤各種郵便費用、⑥コンピュ-タ-などの文具費用、⑦患者の試料採取、試料運搬費用、その旅費、⑧人件費(実験補助や秘書などのアルバイト)等の費用はすべて公的研究費での支出は認められませんでした。
 研究をすればその成果を学会で発表します。発表するためには学会の会員となり、全国または国外での学術大会に出席するために旅費がかかります。また、その成果を論文として投稿すれば投稿費、掲載料、さらに論文別冊代がかかります。これらのすべては私費にて支出せざるを得ません。このように、教育・研究者でないものが研究を行うことは実に大変なことで、研究に対する何らかの支援がないと不可能と言えます。
 研究公務員、大学の教員としての最低限の研究費は経常経費にて認められますが、研究を行えば行うほど、その研究成果を公表する義務が発生します。そうすれば①~⑧に挙げた費用はおのずからついて回ることになります。つまり、研究をすればするほど生活が苦しくなり、逆に研究をしなければしないで、生活に変化は見られませんが、研究者または教員としての評価は下がります。このようなおかしな現象が研究者を取り巻く環境として問題となっておりました。

 1980年代頃から日本の研究者の評価は、事務サイドでは研究内容に対する評価が困難なため、研究論文の数によって評価するといったことが打ち出されました。これによって、論文を重視した先端科学研究を志向する結果、残念ながら研究成果をなかなか出すことができないような基礎的学問分野の研究者がだんだん減少しつつあります。
 文部省科学研究費では平成9年(1997年)度より初めて海外発表(国際会議)旅費等が認められましたが、研究費の使用についてはいまだにかなり使用に制限があることは確かです。また、使用に対しては書類などが多く、非常にめんどうなのが現状です。大規模な研究や共同研究者が多い研究などは比較的楽ですが、個人や少人数で行っている研究にはかなり研究者の負担がかかります。

 私の場合、年間約120万円の個人投資をいまだに行っていますが、研究への投資には家族の協力、強い意志が不可欠です。しかし、その投資によってポルフィリン症の診断法の確立や日本の医療・科学の発展に少しでも貢献したのではないかとの自負もあり、研究期間中は貧しいながらも充実した生活を営んできました。このように、研究することは誇りと志が必要で、その結果は、人生において大きな成長を担保すると同時に何事にも代えられない多くのものを得ることはできます。これからの次代を担う若い研究者がたくさん育ち、研究者の誇りと志を持って活躍されることを期待します。
(近藤雅雄:2015年7月15日掲載)
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